今日も世界で迷子。

小心者の冒険者。長年勤めたお仕事を辞め、海外をぐるりとしていました。公務員を辞めて思うことや、旅の記録を綴っています。

安心できるところに身を置く効能

気分で動くわたしの旅は、毎日の宿を決める作業もその場その場で行なっている。
それは結構ストレスがかかり、面倒な作業だ。
宿の良し悪しで、その土地の印象が大きく左右されるため、値段、口コミ、立地、写真の雰囲気を総合的に判断して決める作業は上手にはなってきたものの未だにカロリーを使う作業で、かなり気合をいれないと作業にとりかかれない。

次へ向かう土地について、悩みに悩んでいた先週は全てを決めかねていた(日本へ戻る選択肢もあった)ので、朝起きて次の宿泊地を探したり、寝起きのスタッフに延泊ができるか恐る恐る聞いたりしていた。

初めて訪れるゲストハウスだと、まずそのゲストハウスのルールを知る必要があるし、トイレは、シャワーは、玄関のナンバーキーは?と、毎日宿を変えていた数日は、本当に落ち着かない毎日を過ごしていた。

この時の不安定な精神状態は財布を失うという不運な事故をもたらし、わたしを更に落ち込ませた。

ところがランカウイ島で、もう5泊目になるこのゲストハウスにきてから私の精神状態はキレイに回復した。

場所や施設がいいだけでなく、スタッフもものすごく優しくて面倒見がいい。

英語ができなくてコミュニケーションがとれないわたしに積極的に声をかけ、ランチに連れ出してくれたり、ドリアンを食べにいったり。ビール片手にナイトマーケットをめぐり、夜には浜辺に寝っ転がりながら共にシーシャを楽しんだ。

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ビーチでシーシャを楽しめる

ある日の夜は飲め飲めと言わんばかりにビールを振舞ってくれる夜もあり、みんなで恋人のことから香港と中国のことについて話した夜もあった。

安心できるところに身を置くというのは、人と人として成らせるための基盤だと思った。

明日の住まいはどうしようと思っていると、もうそこのことしか考えられない。
やはり衣食住人間の基本なのだ。

わたしは、これまで自分の実家や1人暮らしをするにしても、自分の心地よい空間で生きることができた。それを当然だと思っていた。

でもきっとそうじゃない人もたくさんいて、その人達は今夜安全に眠ることができるのかという不安を抱えているのかもしれない。

「子供に安心できる場所を」と呼びかけ、今は全国各地に子ども食堂やシェルターが存在するが、わたしはその必要性をきちんと認識できていなかった。

特に子供には絶対に100%の安心できる場所が必要だ。
もし、それを得ることができないと、最後には不安な感情を殺してしまうに違いない。
自分が生きる伸びるために、感情を殺すのだ。

わたしに何ができるのかは正直わからない。
日本に戻ったら救おう!などという、強い感情まで発展は、まだしていない。
でも、でも、やはり知ることできたことはわたしの財産になるだろう。

わたしは今夜、このランカウイ島、そして最高に居心地のいいこのゲストハウスから移動してクアラルンプールに戻る予定だ。


クアラルンプールの今夜の宿は、、、まだ決まっていない。

 

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