元気が出る食事
食事には色んな種類があることを知る。
わたしは昨日までシンガポールにいたのだが、短い滞在しか想定していなかったため、最小限の現金しか換金していなかった。
(発展土地のため、もっとクレジットカードが使えるだろうと甘い想定をしてたこともある)
そのため常に貧乏さん。
食事をするのも5S $以内と決めて、屋台でお腹空いたーと言って買い、作ってる間にこれ食べろとキュウリのオマケをもらっていた。
最終日のお金の使い方は特に難しく、帰りのマレーシアまでのバスがいくらかかるのかよくわからなかったから残したくないけど使えない状態だった。
そのためシンガポール最終日の食事は(空腹をあまり感じなかったこともあり)朝ゲストハウスで食べたリンゴ1個とパン2枚。昼にマフィン1個と牛乳。それだけ。
それなのに、マレーシアに着いてからホテルまで壮絶に迷ったり、携帯の電池がなくなりそうになって焦りまくったり、ホテルの隣の部屋の中国語テレビがうるさすぎて部屋を変えてもらったりと、パワー費うことはひとしきりして、わたしの身体は空っぽになっていた。
でも空腹の山を越えてしまうと、空腹は感じなくなり、なんか動きたくない。ナーバスなことばかり考えてしまう。でも頭も身体も動かない。誰か優しい言葉をかけてくれ!という、膝をついて両手を拡げて空を見るポーズをとっている—「ショーシャンクの空に」であれば感動的なシーンも、今のわたしには、他力本願が過ぎる痛い30代の図でしかない。
満腹は創作の敵だと誰かが言っていたけど、幸せなものを作りたかったら、温かいご飯を食べるべきだ。
攻撃的で、市民を鼓舞する創作物ももちろん必要だけど、人を優しく包みこみ、癒す力をもつ創作物は、温かいご飯やお布団、触ってもらう嬉しさや、笑いあえる笑顔で生まれる。
わたしはこの旅でよく泣く。
泣きたい人にひとり旅はオススメだ。
どこでも、いつでも、好きな時に泣ける。
仕事中に歯を食いしばって絶えた涙も、
一緒にいる人に心配をかけさせたくないから躊躇った涙も、ここで昇華することができる。
ここではいい。
好きな時に泣けばいい。
わたしは昨晩泣く元気もなかったようだ。
もちろんその時にはよくわからなかったけど。
ホテルをチェックアウトしたジョホールバル2日目の昼、何か食べないとと、ホテルに荷物を預けフラフラと立ち寄った庶民の食事処。
正直食べる気はあまりない。
ガッツリも食べたくない。
おかゆも食べたくない。
麺ももういい。
もうこのまま旅立とうかなと思った矢先、あ、これなら食べたい。
と思ったのが、野菜とひき肉のスープだった。
その屋台のおばさんには英語が通じず、指を指し注文。
美味しそうな野菜炒めもあったので、これも食べたいと注文。
ドリンク処で、甘いアイスミルクティーを頼み、飲みながら待つ。
マレーシアは(わたしが経験してきた屋台は)席に着き、そこに運んでもらうスタイル。
よく顔を覚えられるなと感心する。
そして運んできてもらった際に金額を支払う。
わたしはミルクティーを飲みながら、のんびり待っていたのだが、チラッと屋台のおばさんを見ると目が合い、「もうちょっと待って」とのジェスチャー。
うんわかったよーのジェスチャー返し。
待ちながら周りを見渡すと、旅に出てから初めての光景があちこちで見られる。
午前中からビールを飲む皆様(笑)
そう、わたしの旅で地元民が昼からビールを飲む姿を見るのは初めてだった。
飲んでいるイメージが勝手にあったのだが、マレーシアはムスリムの国だからかクアラルンプール、マラッカで見ることはなかった。(観光客は除く。欧米人は昼からでもボトル開けてるw)
フィリピンでも同様。
そもそも食事をしながら飲むという習慣がないのか、Baguioという土地でこれからクラブに行こーの前の食事で、わたしビール飲みたいと言ったら「これからたくさん飲めるから♪」とたしなめられ、結局クラブまで飲めなかった。
そうかー、ここでは昼から飲めるんだなぁと周りをニヤニヤしながら見渡していたら、お盆にスープと山盛りのご飯、(おそらく)猪肉の野菜炒めが運ばれてきた。
スープを一口飲んで、やっと脳に血が巡り、あぁわたしお腹空いてたんだなぁと、認識する。
ご飯を口に入れてやっと泣く体力が湧いてきた。
猪肉野菜炒めを食べて、この文書を書きたいと思った。
そして食べ終わったあとも席に居座り、この文書を書き終わらせる。
ジョホールバルはフィリピン、マレーシア、シンガポールと旅した中で、1番ダラダラした雰囲気だ。
おじさま達が午前中からビールを飲んでいる姿を、とてつもなく心地よく感じたのは言うまでもない。
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