北根室RANCH WAY 女1人ロングトレイル記⑧ 西別岳山小屋〜美留和駅直前
こちらは立派な小屋で、避難小屋の機能も果たしているのだろう。
ドアに鍵はかかっておらず、管理人さんもいない。
どなたでもどうぞ。入り口で名前と住所を書いて、薪ストーブを使った場合は屋外にある薪を足してね、あと薪代を少しカンパしてねという仕組み。
本棚には年代物の本がずらり。
旅人が置いていくのかしら。
年季を感じる。
水道はないので、先ほどの湿原で組んできた水を煮沸する。
わたしが持参していた、加熱もできる容器はパートナーから借りてきたもの。
それはチタン製で、いいものなので、直接火にかけても変形することはなく、直接口をつけて飲むこともできるということをヒラさんに教えてもらう。
すごく軽い構造だから、火にかけて変形させたら大変 と思って、これまで火にかけるなんてことをしてこなかった。
試しにそれに水を汲んで、火にかけてみるが何も問題はない。
とても良いものを貸してもらえたのだなぁと思う。
そもそも、よくこの旅に送り出してくれたなぁと思う。
この思いは、この旅が終わりを迎えるにつれ、どんどん大きくなる。
この夜はヒラさんの提案で暖炉をつけることになった。
正直そこまで寒くはなかったのだが、男の人って、好きよね。燃えるもの。ヒラさんは嬉々と薪を入れていて、いろんな話をした。
ヒラさんは大学時代登山部だった話。
冬山に篭る際に、大量の牛肉を持っていくこと。
雪に埋めていても牛肉は日々腐っていき、黒ずんだ2日後に、輝きを帯びた紫色になること。(爆笑した)
ストリップショーに夢中になっていた話
両親が経営する会社が傾いた時に、日雇いのバイトに行った話
会社でどんな思いをして働いたか
リタイヤして再雇用になった時、これまで部下だった後輩が上司となり、周りのやりずらさを感じていたこと。
ヒラさんが消毒用として持ち歩いていた、ウイスキーを最後の日だから飲んでしまえとちびちび飲みながら話をしていた。
実の親より色々なことを聞けたんじゃないかな。
これってきっと山の魅力なんだろうなぁ。
同じ道を辿ってきたという共通項で、時間とか、年齢、性別を超えた間柄にしてしまう。
夜も更け、ヒラさんは1階で、わたしは2階で寝ることになった。
鍵をかけることもできないので、いつ誰がくるかわからない状況の中、1階にヒラさんがいてれるのは心強かった。
身支度を整え、おやすみなさいと声をかける、ヒラさんはまだ暖炉で遊びたいとのこと。お先に…と寝袋に入ると
嫌な予感が的中した。
ジャンジャン火を燃やしてるので、
吹き抜けになっている2階
超あぢい。
厚着していたパーカーを脱ぎ捨て、寝袋からも出るがちょー暑い。むしろ熱い。
とてもじゃないが眠れない。
しかし1階では嬉々として暖炉に薪をくべ続けている、ヒラ野郎がいる。
あいつ、むっちゃ楽しんでる。
い、言いづらい。
というか、仮に今言ったところですぐ温度が下がるわけではない。
悩んだ末に、ベランダに通じるドアを全開放して寝た。
虫とか、暖炉が消えた途端に寒くなるとか、知ったこっちゃないといった気持ちで、ドアを開放し、ドアの横に顔を持ってくる形でなんとか就寝。
暖かくて眠れないとな贅沢な悩みですわよ。
次の日、ヒラさんがゴソゴソやってる音で起きる。
雨じゃなさそうだ。よかった。
しかし今日は朝から登山をしなければならなく気が重い
山小屋のすぐ近くにある登山口から登るのが今日のスタート。
暖炉の前で朝食を食べる。
わたしの足にできた水膨れは、ヒラさんの助言のおかげで、すごくいい状態になっていたが、ヒラさんの足の状況さ良くなさそう。
聞いたらすごく痛いと言っている。
身支度を整え、布団をしまい、小屋の掃除をする。
昨日の、抵抗感半端ない簡易洋式トイレもそうだったんだけど、小屋の中にはてんとう虫の死骸がたくさんあって、死骸を集めて外に放り出す。
てんとう虫は何につられてお部屋に入るのだろう。
使った後は掃除してねという張り紙があったので、それに素直に従い掃除をしていたところ、ヒラさんにすごく褒めてもらえる。
ヒラさんはわたしというより、親を褒めてくれる。
褒め慣れている人の上手な褒め方に心地よくなる。
この人は仕事でも上手に部下を褒めていたんだろうなと察する。
そして、荷物もまとめてストレッチをしていたらヒラさんから失礼ながら、、とメモを渡される。
どうやらわたしは息子の嫁候補になったようだ(笑)
昨晩色々話をしているので、彼はわたしの事情は知っているものの、でも、もし、何か、ナニカ!あった時の、ために、若色が空き家!に!なった時のために、とっといて!と言われ(この表現面白いよねw)とりあえず、紙を受け取り、無事地元に戻った際にはお礼のご連絡差し上げますと言う。
携帯の充電を気にし、ほとんど写真を撮っていなかったが、ヒラさんとは写真を撮りたい!と思い、一緒に撮りましょーと山小屋の前で記念撮影をする。
ふと見ると登山口の前に、1人のおじさんがいた。
この人が本日西別岳一緒に登ることになる、(自称 押し付けガイドの)ハマさんだ。
宿泊地が一緒になった人とは、スタートのタイミングを計るのが難しい。
歩く速度が違うから一緒に登りたくはないのよ。
できたら抜かされたくもない、という微妙な心理戦のやりとの末、ぐるっと小屋の周りを見て回る行くというヒラさんを残し、わたしが先陣を切って山に挑む。
ハマさんはわたしの直後にエントリーしてきた。
わたしが直前までヒラさんと話していたこともあり、ハマさんから(ヒラさんと)一緒じゃないの?と聞いてきて、一緒じゃないのですーと返す。
ヒラさんにトレイルのことを教えてもらったとしたら、
ハマさんには西別岳のことを、山の登り方、山のこと、を教えてもらった。
ハマさんは、西別岳フリークで、毎日登っているという猛者。冬シーズン、雪の西別岳も登るんだって。
西別岳は6月が素晴らしく、登山路の両脇が花で溢れるらしい。
わたしが登った9月でもいくつかの小さな花を見かけて、ハマさんは、花の名前を教えてくれた。
忘れちゃったけど、舟の形をした花とか、母子の花とか。
わたしは大股で歩くタイプなので、それだと足が疲れる。
なるべく小股で歩きなとアドバイスもしてくれた。
また、高度を上げるにつれ下がる気温に備え、手袋を持っていたら手袋したら?とか、パーカーあったら着た方がいいよと早めにアドバイスをしてくれる。
トレイルに限らず登山では特に体温を維持するために、早めの装備が重要だ。
ハマさんにも色々なことを教えてもらう。
西別岳を整備してくれている名物おじさんがいること。
この登山道の整備に使われてる石はヘリで運んだこと。
毎日登ってるハマさんが、1番好きな花のこと。
出身は宮崎県ということ。
北海道の建物は暖かい作りになっているから、冬は暖かい室内で半袖でビールをカパカパ飲むことを聞いた。
嘘か誠か、北海道では冬の方がビール消費量が多いらしい。
ハマさんは、このまま一緒に山を降りればソフトクリームと牡蠣蕎麦を食べに連れてってあげるよと言ってくれたのだが、わたしはロングトレイルのゴールを目指したいと言い、頂上で連絡先を交換。
また来るときは空港までお迎えにきてくれると言う。嬉しくなるね。
ハマさんと別れたところでガスが強くなり、うっすらと濡れるくらいになったので、カッパを履いて、バックにカバーをかける。
この旅初めての雨仕様だ。
ハマさんは山を降りるが、わたしはここから山を縦断する。
摩周湖を右に眺めながら、登山道をずっと歩く。
ここからの登山道は腰あたりまで笹が伸び、ヒト1人しか通れないくらいの道がずっと先まで続いている。
笹は腰までなので、基本的に向こうの景色まで見渡せる。
自らの形を冬の雪に耐えうる細さにしている木がところどころにある幻想的な風景だ。
白樺の木も、幻想的な雰囲気に色味を添えている。
北根室ランチウェイは、トレイル4日目してもまだなお新しい景色を見せてくれる素晴らしい道だ。
途中で、向こう側からやってきた大学生男子と出会う。
彼は見るからに、山登ってます!僕登山部です!という感じの登山男子、わたしがこのロングトレイルで出会った4人目ハイカーだ。
わたしはランチウェイ4日目だが、彼は初日。そう、彼は逆走ハイカーなのだ。
トレイルは全てが自由なので、逆走でも、途中からのエントリーでも、途中で辞めてもok。
実はわたしもスタート地点のアクセスの良さから当初は逆走ルートを想定していた。
しかし、結果的に初日最も重い荷物を背負っての西別岳登山は、非常に厳しかったと思うので、わたしには正規ルートで良かったと思う。
彼から、水はどこで汲めますか?とか、これまでの道どうでしたか?と聞かれ、ちょっと先輩風を吹かせて得意げに答える。
彼の荷物はやたら大きい。
聞くと彼は米を数キロ背負ってるそうだ。
先輩風吹かせてマジごめんなさい。
歌詞通りの「霧の摩周湖」を右手に眺めながら歩くのだけど、登山路は、単調。つまんなーい。
でも下りの道が苦手なわたしには、たえず緊張しっぱなし。
雨で足元が滑るとますます怖い。
もう怖くてイライラしてくるw
そう歩いていると、道が開け、摩周湖第一展望台に到着。
ここはおみやげ屋さんも併設している、とてもきちんとした施設。
つまり、久しぶりの文明ですよ!
嬉々とトイレに入る。
洋式⭐︎キレイ⭐︎流水で手が洗える⭐︎
便座あったかい(☆△☆)といちいち感動。
食堂もあったので、入りゃいいじゃんと思うのですが、なんか引け目を感じて入れない(笑)
お金も、、ないしね、、
ということで、後から合流したヒラさんとトイレの前で羊羹を食べるというおかしな図になるが、なんかもう精神強くなってるから、全然気にならない笑
少し休憩後、道路を挟んだ向かい側にあるはずにトレイルの道を探す。
これまでは、「KIRA WAY」の赤い標識がわたしを導いてくれていたのだが、ここにはそれが見当たらない。
何度か行き来したが見つからず、最終的に駐車場のおじさんに聞きながらなんとかエントリー。
おじさんに確認したにも関わらず、盛大に通り過ぎようとしたわたしを、「そっちじゃないよぉ〜!」と遠くから大きな身振り手振りで知らせてくれた。みんな優しい。
この藪の坂を降りたらいよいよトレイルも終わりだなぁと思うと、頭は回想モード。
こんなことあったなぁとか、あんなことあったなあと考えながら下る。
ある程度降りると、山を管理をする人しか入れない林道に出て、その後工事車両が通ることのできる、整備された砂利道を歩く。
砂利道の先には野生動物(鹿とか)が入れないように大きな柵←それこそジュラシックパークの入口の柵のような大きな柵があって、そこを身体をくねらせながら通る。
ここがなかなかの難関で、大きなカバンを背負ったわたしは、中国雑技団さながらのポーズでなんとか柵越えをしたところ、ワイヤーを外せることに気づいて、外れるんかい!と1人突っ込み。
牧場を通過するマンパスでも同じようなことしていたよなワタシ。
そこからは広大で平らな両脇に拡がった景色の真ん中にある1本道をひたすら歩く。
シューズの紐を山仕様にしていたので、平地では足が痛くなってしまい、紐を緩めるためにしゃがみこむ。
顔を上げると、いた。
ルールールルルルー
キタキツネがいた。
そこからは、美しいキタキツネと並走した。
彼女は少し進むと、わたしのことを確認するために振り返り、付いてきていることを確認しまた歩く。
誘導してくれるかのごとく。
この時、ぶわわわあぁっと感情が押し寄せてきて少し涙ぐんだ。
わたしはよくやったなぁと。
そして、周りの人はよく送り出してくれたなぁと。
ありきたりな言葉で申し訳ないけれど、
トレイルの最後に思ったことは"感謝"だった。
ありがたい。
ありがたい。
色々なものを持たせて送り出してくれたこと。
丈夫な身体に生んでくれたこと。
わたしに挑戦させてくれたこと。
全てありがたいなぁと噛み締めた。
ブログ村での旅ブログ