少しだけ生まれ変わる
石垣島に旅をした時、北西の辺鄙な場所にあるゲストハウスに泊まったことがある。
どこか島に行きたい。(北海道や四国もわたしにとっては島扱い) けれども、ここに行きたい!という強い目的がない時、島の全体図をぼんやり眺めてながら、なんだか惹かれた土地に行く旅をすることがある。
※見返す度ににいい写真しかないニュージーランドのあるお家で過ごしたの1週間の1枚。彼女とすごした1週間のことも後々書きます。
この石垣島の宿も、まさにそのパターンで、石垣島をぼんやり眺めていて、なんとなく左上(北西)に行きたいと思って、そこから宿を探し、行き着いた場所だ。
そこはいい具合にアットホームで、いい具合に放っておいてくれる、とてもいいバランスを保っていた。
迎えてくれたのは、マリナちゃんというわたしより少し若いアルバイトの女の子で、ある朝に彼女がストレッチをしているのを見て、異様に柔らかい身体を不思議に思い、聞いてみたところ、これまでバレエを本気でやっていた子だった。何の事情があったかはわからないけど、バレエを一時期お休みをし、宮古島で毎日海に潜っていたそう。そのあと石垣島に辿り着き、この宿で住み込みのアルバイトをしていた。
そこは、敷地の広いゲストハウスだったので、彼女がシーツを洗って干す姿は、ジブリアニメのワンシーンのように晴れやかで、今でもはっきり思い出せる。
そこで出会った、関西に住む外国人(旦那さんは日本人)の女性はショートカットが似合う、頭がいい人だった。リピーターさんのようで、このゲストハウスにはよく来るとのこと。
お仕事は?と聞くと、美術品の修復だという。
美しい物に囲まれていると、その人も美しくなるんだなぁと思いながら話しをしていると、彼女は自分のことを、いつも怒ってばかりで優しくないと言う。
いえいえまさか、あなたが怒ってばっかりならば、わたしは起きている間ずっと怒っていないと採算が合わないよ。と言うと、家では旦那さんやお客さんに怒ってばかりなんです、だからここに来ます。ここに来ると優しくなれます。と言っていた。
みんな、そんな場所を、自覚できるといい。
別に、飛行機や新幹線に乗って行く場所じゃなくても、お気に入りのカフェのあの席だったり、川辺にある喫煙所や愛車と走る国道でもいい。好きな作家の作品の中や、大好きな人の隣なのかもしれない。
そこに行くと優しくなれる場所があるのは、ドラクエで言う、教会みたいな場所で、小さく生まれ変われるところなのかもしれない。
そんな場所がわたしにとっての京都で、京都は音がいい。京都弁がいい。
あの柔らかい「おおきに」を聞くと、もう少し所作を美しくしようかしらとか、ゆったりした毎日を過ごそうかしらという気持ちになってくる。
帰ったらまたすぐ忘れてしまうかもしれないけど、それもまたいい。小さく生まれ変わったのは間違いないから。
京都での銭湯の帰り、おおきにと言ってくれるおばちゃんに、地元民のふりをして「おおきに」なんて返してみたり。
そんな小さなドキドキを味わいたくて、少しだけ優しいわたしに生まれ変わりたくて、また次の旅に出るんだろうな。
※この記事を書き上げたカフェでの1枚。わたししかいないから、歩き疲れた靴を脱いで伸び伸びしながら書き上げた。グリーンと太陽のコントラストって誰が撮ってもキレイ。
客観視しないスキル
昨日の投稿、「久しぶりだね!若色!」という声が聞こえてきそうなほど、最近は書くことから遠ざかってました。
それでも未発表の書き散らしたやつが2つ3つあるんです。
※飲みながら書くこと多いです。
書き出しては、簡潔しないで、放置になってしまった文書たち。
書いている途中に何があったかと言うと、書いてる自分を「スン( 'ω') 」って眺めちゃうんです。
つまり客観視しちゃう。
クリエイティブと客観視の相性は良くない。
こんな文書誰が読むんだろ…
こんな文書読んで、誰の身になるんだろ…
てか、こんなこと、みんな知ってるしな…
とか考え出すと、もうオワタ。ハイ、まとまらない。着地点が見えてこない。何が言いたいことでしたっけ?となる。
(わたしは書きながらまとめていくタイプです。書き出す時に結論は見えてません)
そうゆう時の客観視って、大方 ネガティブ発想。
自分を必要以上に攻撃する。
だからクリエイティブなことをやる人は音楽も映像も、文書も絵も、最後まで「オレ最高」って突っ走った方がいい。
客観視しないでいいです。No客観視。
そもそも突っ走ってる奴らが大成してると思う。
自分の好きなもの作ればいい。
それに乗ってくれる人がいればラッキー。
いなくても、好きなものを作ったあなたはラッキー。
ほら、全員ハッピー。
自分を客観視するのは、マナーとか、礼儀とか、自分の行動を省みる場面だけでいい。
こうして自分を慰めながら、今日も拙い文字を紡ぐよ、アタシは。
だからもっと自由な旅を。
旅って色々あります。
どんな旅にして、どんな風に楽しむかは自分で決めていいんです。
※3日以上の旅の時は、最初のご飯を持参します。ずっと外食だと飽きちゃうので。(水筒の中身は麺つゆじゃないよw)
でもさ、ずっと俗世にいると、それも、忘れるし、わからなくなるし、見失う。
テレビでは、旅の見本のフォーマットみたいな特集が組まれ、雑誌を読んでも結局同じようなスタイルで、旅行会社のツアーを見ても似たような方向性。
無駄なく、効率的に、1つでも多くの場所を。
これこそ、"得"である。
…ケッ。
こんなんばかりでやんなっちゃうねー
だからかな。
「ああ、わたしの旅スタイルはこれじゃなかった」と、気がつくのって、いざ旅が始まってからが多い。
初日の朝、集合場所に集まった時だったり、
旅の中盤疲れてるのに、ツアーの行程が決まっているから明日6時に起きなきゃ行けない夜だったり、
家族・友達との合意形成にうんざりしてる昼下がり。
ねえ知ってます?
旅先で、宿にこもって1日中映画や動画見ててもいいらしいですよ。
レストランなんて行かなくて、スーパーでお惣菜買って、缶ビールで乾杯してもいいんですって。
その日の気分が乗らなければ、朝イチで二度寝をキメてもいいんですって。
これもぜーんぶ旅。
旅という言葉は全てを傍受してくれるんです。
でも、これは旅の経験値をあげて、いくつかの挑戦と失敗をしないことには、自分のスタイルがどんな風なのかはわからないのです。
もちろん、旅行雑誌のようなスタイルがとことん好きな人もいる。
でも、そのスタイルが合わなかったから、わたしには旅は向いてないって思うのは、もんのすごーーく、もったいない。
だから、もっと、自由な旅をしよう。
できたら知らない人にまみれる12時間を過ごそう。
ひとり旅はね、4回目くらいからとてつもなく楽しいから!
今現在旅ができない人は1人カフェ、1人居酒屋なんかもいいね。
わたしはやーーっと、自分の旅のスタイルがわかってきた。
集合場所を気にしながら、時計を見て、ご飯を食べたり、お土産屋を選ぶのが嫌い。
周りの人がえ?ここ?って思うところでも、わたしが気に入った景色には立ち止まって暫く眺めていたい。
天気な微妙な週末は、当日の朝まで旅に出るか出ないかは悩みたいから、待ち合わせはしたくない。
宿についてからお風呂を済ませるか、すぐに、ご飯を食べるかはその時の気分で決めたい。
1人旅はトライしてみないことには、好き嫌いがわからないので、是非挑戦してもらいたい。
あなたの旅スタイルが見つかりますように。
生きる意味を考える8月14日(金)話します。-奇しくもお盆-
最近はすごくもやもやしていた。
ぶちぬけないグニョグニョした膜に覆われてて、でも膜の中はある意味心地良くてぼけっとしてた。
でも今日1人ゆっくりとお酒を飲んでいたら、うるせえこいつと思ってその膜を突き破ってみることにした。
ということで、みんな生きる意味について話そうよ。
最近生きる意味について考え出したら止まらないから思考を止めて眠りにつく。
それでも眠りにつけない自分が嫌いで久しぶりにイラッとしてます。
文字面にすると思春期っぽいけど、まぁそう思ってもらってもいい。
30代の出来心は、女とおばさまとの間(はざま)の思いよ。
10代の大人との間の気持ちのゆらぎは、みんなが等しく経験するけれど、
30代の出来心は、子どもがいたり仕事が多忙で忙しかったりする人は感じずらいのかもしれない。
(鈍感の感度が上がっていくしね)
感じる人は感じるし、感じない人は感じない生きる意味ってなに?という、モヤモヤを話しましょ。
「”生きる意味”を探すこと事態が意味のないことだ」
という説教は、どうか他所でやってくださいませ。
できることなら空に向かって言ってくださいませ。
時空を超えて、10代にあなた自分に降ってくるかも。
それでもしぶとく生きる意味を考えたい。
時は2020。盆の頃。
生きる意味について、話します。
2020年8月14日(金) 21時〜22時
ミヤラジ77.3「We are Movie Lovers.」
「生きる意味を考えた映画」
代打パーソナリティ 若P
今のところ生きる意味が1つしか見出せていない若Pが
映画を通して生きる意味を探したいと思いもがき足掻く醜態よ。
=こんなお便り募集============
・あなたの生きる意味は?
・生きる意味を見失った時期ありますか?
・もしかしたらこれは生きる意味になるかもしれないと思った映画
・もしかしたからこれは生きる意味になるかもしれないと思った台詞
(紹介したい台詞がたくさんあります若色)
送付先
wakanairoiro@gmail.com
メッセンジャー等々でもOK。全て必ず読みます。
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奇しくもこの放送はお盆。
生と死の境が曖昧になる時期に、こんな途方もない目次に挑んだ36若色の慣れの果てをお届けします。(丸裸)
「愛情生活」で潤ったもの
最近のわたしは偏食気味に情報を取り込んでいた。
自分に知識を入れるタイプのもの(Daigoさんの動画よく見ます)か、頭空っぽで見ていられるもの(世界の果てまでイってQばかり見てた時期があった)の、どちらかで、なんだか時間ばかり食うけど、どこか満たされなく空虚だった。
自分の意識としては知識系を見たいのに(見なきゃダメだと思っているのに)、頭空っぽで見られる動画を見てしまい落ち込んだりもしていた。
どちらも必要なんだけど、そのどちらかを見る習慣になってしまっていて、ループから抜け出せないでいた。
そこで何気なく手にとったエッセイ本が、荒木陽子さんの著書「愛情生活」だ。
これはずっと母の本棚にあったらしいが、タイトルからしてわたしの琴線に触れず、視覚に入ることもなければ、手にとることもなかった。
しかし先日SNS上で流行った「7カバーブックチャレンジ」にて、わたしにバトンを回してくれた女性がこの本を1冊目に紹介しており、母から「わたしも持ってるんだ~。本棚にあるんだよ。」「そうなんだ~」とおしゃべりをする機会があった。
時間もあることだし、わたしの尊敬する女性と、わたしを育ててくれた女性が好きという本を読んでみようと思って手にとった。
わたしは、熱量が最善の手段でわたしに伝わってきたときに「コポコポ」という音を感じることがある。
立っている自分を取り囲んだ透明のガラスの箱が水で満たされていくような感覚だ。(間違っても、映画「ザ・セル」のように水槽に女の子を閉じ込めて水をためていくような苦しい感覚ではない)
この本を読んだ時にそれを感じた。
ふんわりとした陽子さんの感性から生み出される言葉は、わたしをコポコポと満たしていった。
彼女の言葉はスタイリッシュで、偉ぶることなく、言葉の選び方が豊かで、瑞々しい。
もし、彼女ので言葉がなんらかの形をもってわたしの手のひらに置かれたら、きっとやっこくて、ポタポタと水滴が垂れていて、わたしはその柔らかいものを握り潰すとどうなるんだろうという好奇心に勝てそうになく、クチャっとチカラを加えてしまいそうだ。
そして何より彼女の文書は粋だった。
わたしはたまたまパソコンの近くで本を読みだしていたので、素敵な表現をいくつか抜粋することができた。少し紹介いたします。
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「彼は私の中に眠っていた、私が大好きな私、を掘り起こしてくれた。彼に遭ってなかったら、そんな事には気づかずに過ぎたかも知れない。ごくフツーの完成の男の人と結婚し、寝ぼけ眼のまま一生を送ったかもしれない。」
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だから彼の傍で飲んでいる時は、いついかなる時に、帰るぞ、の声がかかってもアイヨと格好よく立ち上がれるだけの心の準備が必要である。
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女としての魅力がわたしにあるとしたら、それは、夫のマナザシや言葉によって作られているのではないかと、つくづく思う。
「愛情生活」荒木陽子著 より抜粋
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そして何より彼女の食事の書きどころが大好きだった。
(映画における食べるシーン専門家のわたしは、Youtubeでもたくさん食べる動画を検索してしまう上、よもやエッセイでも食べるシーンが大好きなところを見ると、食べることに異様に執着がありそう。私の前世は十分に食べられなく戦地で散った日本兵なのかしら)
彼女の本をゆっくり読んで、わたしの感性が少しずつ潤っていき、「そうだ、わたしも、書こう」と思いパソコンに向きあえている。
偏った情報だけでは、わたしは書き出さなかっただろう。
追伸 荒木陽子さんを出して、潤うという言葉を使うと途端にセクシャルな色味を帯びてくるのが、彼女の魔法なんだわね
書く筋肉
最近書く筋肉が衰えちゃってどうもダメだ。
先週から、何本も書いてみたんだけどどの話もピンとこない。
前回の日記からずいぶん日にちが立っていて、わたしは日本に帰ってきていて、今はコロナで自粛中で、といったことを書こうと思い浮かべたら整理がつかなくなってしまっている。
すごい便秘のような感じ。
書きたいことがありすぎてお腹の中でグルグルして、排出が困難。
でも便秘であればいいのだ。
書きたいことや思うことは生まれていているということだから。
困っちゃうのは、便秘と思わせておいてお腹がスカスカだった場合。
書きたいことがない場合。
なら書かなきゃいいじゃないと、思うのでこの数週間ボケっとしてたんだけれど、なんだかそのボケ~で解消されぬ感情がつきまとう。
もしかしたら書きたいのかもしれない。
そう思って、とにかく小さな1歩から書き出すことにした。
まず書く筋肉を取り戻さないと。
そして、久しぶりだからってすごい文書を書かなきゃいけないみたいな気持ちを払い落さないと。
これからは旅の最中よりは見栄えのしない文書を、ボソボソ書くことになるかもしれないけど、それでもいいから、書いてみよう。